傾き者だからどうだってんだ?



とある歌舞伎俳優の乱暴や狼藉が「報道」されている.当人には然して関心がないので,人物うんぬんについては語りません.


他人様の日記などをながめていると,もともと「傾く(かぶく)」という,現代語で「奇妙な振る舞いをする」とでも訳せる,「傾き者(かぶきもの)」が,今日の歌舞伎役者の出自であるから,素行がわるいのも仕方ないとの「擁護?」もしくは「当てこすり」を見ていて,ちょっと疑問に思った.


今日の歌舞伎の開祖とされるのは「出雲阿国(いづものおくに)」1572年~没年不明だが,出雲大社の巫女で,出雲大社勧進のために諸国を旅したとある.


たとえば,便利だからすぐひっぱってくるウィキペディアの歌舞伎の項には,黎明期の歌舞伎の記述として以下のようにある.


(一部抜粋引用)
「派手な衣装や一風変った異形を好んだり、常軌を逸脱した行動に走ることを指した語で、特にそうした者たちのことを「かぶき者」とも言った。」
歌舞伎 - Wikipedia


おそらくは,この一事をもって,日記の書き手諸氏は「傾き者」といっているのだろうが,それは慶長年間の話しで,既に400年以上の歳月が流れている.その四百有余年をかけて,かぶき踊りは,幾度の危機を乗り越え洗練を重ねて今日の歌舞伎として結実している.


その出自をもって,いまだに歌舞伎役者を,傾き者だから少々のやんちゃはなんていうのは,全てを現在時制でしか見られない浅薄な視座と言ってもいいのではないだろうか?


はたして戦国武将や,大名の末裔を「人殺しの末裔」としてその狼藉を謗る事に疑問を覚えるだろうか?


スケート選手である織田信成がスクーターで飲酒運転を起こした時に,世間の何人が「信長の末裔だから仕方ないよ…」と言っただろうか?あそこで信成は警官を切り殺したとして,誰が快哉を叫ぶというのだろうか?


そんなことを言い出せば,人類の祖先は裸で棍棒をもって大地を走り回っていたわけで,そこから何万年かの時間を経て,僕らはここに(その評価やほころびはさておき),他のどの種も成し遂げなかった文化や文明を築き上げた.


そうした時間経過を重んじることなく,ただその出自だけで,「傾き者の末裔」などと論じていいのだろうか?そうした,歴史の文脈を顧みない軽率な物言いもまた,先人や文化への乱暴や狼藉だと思うのだが?


いいもんはいい,だめなもんはだめ,それは,そいつがどこに所属しているかではなく,そいつ自身,そいつの振る舞い,そいつの心根をみて判断すべきもので,どうにも「ひとつの意思をもって意趣返しを行っているかのような」昨今の報道をもって,僕は目の前の事象を語ることは留保したい.