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“フォローする”ということ | ガジェット通信 GetNews
“フォローする”ということ


一年の終わりに,なにやら教訓めいた事を主張したい人がありますがんなこたぁどうでもいいんです.12月31日の太陽と,1月1日の太陽は同じ物です.変化はいつも受け止める側がそれぞれ個別的に感じることであり,誰かが上からえらそうに言う事ではありません.


旧来型のメディアのように数こそが正義でないからおもしろいのが昨今のつながりです.followしてくれる人の数なんてのはどうでもいいんですな.いっしょになって遊んでくれるならまだしも,盲従する,もしくは無下に否定する人のどちらにも自分の毎日に量的な変化こそ与えますが,質的な変化の原因とはなりえません.


そうしたメディアの上では,まばらで,まだらなつながりの海の中で,その人なりに楽しめればいいんでしょう.そのつながりが,有名人だと価値が高くて,無名な人だと値打ちがないってのは知名度における拝金主義の亜種みたいでなんとも薄気味がわるい.


大事なのは自分を包んでいる包装紙の柄が三越であるか松屋であるかではなく,自分自身のおもしろさ.煎じ詰めていけば,自分の指先からつむがれた言葉を誰かがおもしろがってくれればそれだけで十分であり,そこに僕の言葉であるという署名がついていようがいまいがどうでもいい.私の名前があなたの記憶に残らずとも,私の言葉があなたの記憶の片隅に刻まれる事にこそ価値がある.


そう,これは飯の種ではないのだから.


こんな書評が紹介されていました.

「まあまあ好きな人」は必要か。成功者が付き合う人
(WEB本の雑誌 - 12月25日 16:41)
「まあまあ好きな人」は必要か。成功者が付き合う人 - ニュース|BOOKSTAND(ブックスタンド)


そもそも紹介されている本の「成功者」の定義づけが高収入という単なる拝金主義なのが既にアレですが,収入なんてのはどれだけ稼ぐかよりは,稼いだ額にどれだけ満足するかの方に価値を感じるかにこそ意味がある.実入りが少ないなら,どこかを削ればいいんです.生活が成り立たないとしたら,それはその「生活」が身の丈にあっていないのでしょう.やるだけやってもだめなら生活保護だってなんだって胸を張って申請すればいい.貧しいのがいけないのではなく,貧しさに卑屈になるのがよくない.調子がよくなったらさっさと申請を取り下げればいい.


他人がもっている価値を利用しているのは,つながりの中においてまだまだひよっこです.他人とのかかわりの上でこれまで無かった価値を紡ぎ出すからこそ人間関係ってのはおもしろいんじゃないでしょうか?まだまだひよっこな場面の多い自分はそうおもっています.


日記で取り上げた元記事が引用している内田樹さんは,著書やブログにおいて社会の無時間モデル化に懸念を表しています.入力と出力が無時間化されることで「効率よく結果を得る」のと,教育やビジネス,ひいては社会のよきありようとの対極であると語っています.(たとえば「下流志向」等)


ここでいう,有名人のfollowersを増やして,自分の言葉を瞬時にひろめようとすることは,結果的に著名人の取り巻きと自分を位置づけ,自分の言葉の賞味期限を短くすることでしょう.


有名人が僕をfollowしてくれる事よりも,身近な無名な人たちが自分に与えてくれる日々の啓示を見逃さないように目を見開き耳を澄まして,そして,今の自分が紡いでいる言葉の解像度や精度を一層高めていくことに労力を注ぐほうが,自分の一生を楽しく生きるためには向いているんじゃんないかとおもいます.


まだ本格的な老化を迎える前のおっさんのたわごとですが,歳を取ることってのは,若いうちは我慢できなかった事を我慢して飲み込む事でもあるんじゃないでしょうか.これは妥協ではありません,寛容さを身につけることで自分自身の器が大きくなる事に期待するとでも言えばいいのか?


若い頃から年寄りくさかったせいか,成功者や野心的って言葉には違和感や嫌悪感をおぼえます.


自分が死んだ後に巨大な銅像や墓石が残るよりも,身近な人が時折生前の自分を懐かしんでくれる方が幸せな一生だったと言えるのでは無いでしょうか.その数の多寡などは,死んでしまった自分にとってはどうでもいいことですし.


正しい事ってのは,たいがい他人が決めます.正しいは一通りではなく,複数回があり,いくら自分が正しいといっても結局は数で決まってしまうのが現実です.それに対して,楽しいってのは自分が決めることです.どんな些細な事であれ,それが自分にとって楽しいのあればいちばん楽しい.


他人と勝敗を競うようなものにいつまでも執着していても仕方ないじゃないですか.


飯を食っていく上で不可避な競争はなかなかなくなりません.さりとて,そこを離れたのなら競争など忘れて楽しむほうがいい生き方だと,僕はおもっています.











ワタクシは酔っ払うと放言する癖を自認しているのでtwitterは更新を停止しています.気が向いたら再開するかもしれませんが,このまま放置するかもしれません.