玉子がご飯にからまない玉子かけご飯になんの意味がある?



【贅沢質素のススメ】ひと手間かけて究極の卵かけご飯「漬けたまご飯」を作ろう!
2012年11月15日
【贅沢質素のススメ】ひと手間かけて究極の卵かけご飯「漬けたまご飯」を作ろう! | Pouch[ポーチ]


玉子かけごはんでいちばん大切なのは,溶き玉子と温かなご飯粒との一体感だ.


浸透圧を利用して調味液をしみ込ませて卵黄の味を濃縮したのが,件の「漬けたまご」だろう.そうやって苦労してつくった「漬けたまご」をご飯にのせたところで,玉子かけご飯の醍醐味たる,玉子がご飯の一粒ひとつぶに染み渡る一体感は得られない.


ここで言う「漬けたまご飯」は,おいしい玉子とごはんとの足し算でしかない.しかし,玉子かけご飯というのは,文字通りの掛け算のおいしさであって単なる溶き玉子の味でもなく,温かいご飯の味でもなくそれらの調和による新しい食感の創造だ.


組み合わせの妙を理解しないものが,ただ「おいしいもの」を並べただけでは,それはお子様ランチやワンプレート上に並べたカフェめし(失笑)に過ぎない.

「漬けたまごご飯」は,「漬けたまご」を塩うになどの濃厚な「たまご(精巣や卵巣ですが)」に変えてもやはりおいしいだろうと容易に想像できる.それぞれの素材のおいしさだけに依存しているからだ.ここでは,ご飯はおいしい具材の「媒介」でしかない.バラバラに食べてみたっておいしいのだから.


しかし,玉子かけご飯ではそうはいかない.生卵を溶いて醤油(以外を足してもいいけどね)をひとたらししてかき混ぜて,温かいご飯にかける事で熱が加わり,ご飯粒の表面を覆っていく過程において調和がうまれる.それぞれが引き立てあい,代役を立てるわけにはいかないのだ.溶き玉子をすすって,玉子かけご飯のおいしさが想像できるか?単独では端役にさえなれないのだ.


「漬けたまごご飯」と玉子かけご飯の間には,理科でいうところの,混合物と化合物のような差があるのだ.


質素というのは素材や,ましてや発想が貧しいことではない.龍安寺の石庭には石と白砂しかないが人はそこに大海やしばしば宇宙をみる.玉子とご飯とがうみだす化学反応の調和に勝るには,どちらか一方に手を加えるような小細工ではとうてい及ぶことはないだろう.