「ちゃんとした音」とは?



「ちゃんとした音」体験して 「マニア禁止」のオーディオイベント
「ちゃんとした音」体験して 「マニア禁止」のオーディオイベント - ITmedia NEWS

オーディオ業界の有志が、10〜30代に「ちゃんとした音」を聞いてもらうイベントを開く。iPodなどを持ち込めば、手持ちの楽曲を本格オーディオで楽しめる。
2007年08月07日 21時16分 更新



ITmediaNewsより.


製作現場で流れている音に近いのが,ここでいう「ちゃんとした音」ってことなんだろうけど,そんなのどうでもいいことだ.


巷に流れる音楽のほとんどがスタジオのミキシングコンソールやエフェクタ等で定位や位相を調整してるんだし,その程度の正当性を再生することにどれほどの意味があることやら.今や,プレイバックするためのコンテンツを売って口に糊する商業音楽は,制作側や流通側が神様じゃなくて文字通りにお客様が神様だ.神様がiPodで聴くというならそれが「ちゃんとした音」であると考えるのが正しい.


乾物を上手に戻しても,もとの生物にはならない.死んでしまった何かはどんなに上手に戻してみても,決してよみがえらない.


もちろん,乾物は乾物でおいしいから,それをおいしく食べることに異論はない.その結果,外で食べるとなんでもごちそう,ではないが,狭苦しい家で聴くよりも戸外で聞くことを選んだからこそのiPodでしょ?家にいれば家族に中断されたりするけど,見ず知らずの他人の中にいれば誰も自分の存在を気に留めない,それは無人の草原にいるのと同じことだから.


というか,一方ではマニア相手に悪どい商売をしておいて,返す刀で素人衆に昔みたいな高価な「ステレオ」買わせる気なんだろうけど,電器メーカーの過去の栄光は再現しないよ.そもそも電器メーカーが商品を売るためにレコード会社をつくって,それを短期間に大量に売るためにメディアにすりよったことで,商品である楽曲の寿命を縮めたんだから自業自得だろうに.大量に売るために「安い音楽」を量産したんだから,それらの安物のための再生装置が安いものであってもなんら矛盾はないだろう.天に向かってつばを吐けば,結局自分の顔にかかる.たまに風が吹いて他人にかかったりするから腹が立つけど.


食品偽装も,手抜き建築も根っこはみんな同じこと.安いものを追い求めた結果,市場からは安いもの以外が淘汰されて無くなった.

ここから先,自分につばを吐きかけることになるけど,多くを求めたから贋物に取り囲まれて身動きできなくなった.もちろん,かつては富めるものだけが持てた,車や家電製品,楽器などが少しの努力で経済社会の一員であれば誰もが求める世の中になったってのは,ある時期までは豊かさだったはず.でも,あれほどほしかったあれやこれを手にしてみると,退屈なブルジョアジーのような倦怠感に包まれちまった.


分母が大きいと「大切なもの」ひとつひとつの価値が小さくなる.そろそろ取捨選択していく時期なのかな,と感じている.かといって「ナチュラリスト」や「口ハス」なみなさんのように,都合の悪いとところだけ文明を否定して有りもしなかった昔に戻るかのようないいとこ取りは,もっとも唾棄すべき下衆野郎だ.


これまでの延長上にふうふう言いながらも,螺旋階段をのぼるようにぐるっと回って地図上では同じ場所からでも高いところに行きたい.以前は見えなかった世界の断片や自分をながめて,何をすべきか判断して実行しないと楽しくなくなってきた.


もちろん,見える範囲が広くなれば,視野に入るものがすべて小さく見えるようになる.視野にはたらく梃子,分母と分子の関係だね.ってことは,のぼる努力だけでなく,時には降りていくことも必要なんだろうな,と思う.いろんな意味で,足腰を鍛えておかないといけないな,と思う.