外来語をみな「間違った英語」だと思う書き手こそ…



Japanglish、正しく言うならこうでしょう
179 mes(メス)
Japanglish、正しく言うならこうでしょう(179) mes(メス) | マイナビニュース


そもそも,メスは間違った「英語」なんでしょうか?当方の見解は否です."Japanglish、正しく言うならこうでしょう"とありますが,間違ってるのはメスではなく記事の書き手の英語原理主義とでも呼ぶべき偏向したモノの見方だという論を展開します.お時間のある方は,以下の行きつ戻りつの駄文をお読みいただければ幸いです.


日本語で日常的に使われる語彙を大別すると,漢語,外来語,大和言葉の三つに分けられます.漢語は,比較的古い時代に中国語から借用して日本語に取り入れらた語彙,外来語は主に西洋語由来で日本語に取り入れられた語彙,それら以外の語彙を大和言葉と三分類しています.重要な事は,「外来語」は「外国語」とは異なり,既に日本語の語彙として定着しているものを指し示す言葉です.


これらのうち,「メス」は本文中にもあるようにオランダ語由来の外科手術用の刃物を意味する言葉であり,外来語の語彙のひとつです.日本語の語彙としてのメスの語源や初出を調べた事はありませんが,おそらくは江戸時代の蘭学に由来するのでしょう.杉田玄白オランダ語で書かれた『ターヘル・アナトミア』を翻訳した『解体新書』が本格的な日本の西洋医学のはじまりとされています.余談ですが,『ターヘル・アナトミア』の種本はAnatomische Tabellenでドイツ人医師のヨーハン・アーダム・クルムスの書いた本だそうです.


明治以降の日本の医学は,ドイツの医学を学ぶことからスタートしたのはよく知られた事でしょう.診療録に相当する日本の医学用語はカルテで,これはドイツ語のKarte(英語でのcard)に由来します.修辞学で言うところの換喩で,書かれていたカードの事を診療記録としたのでしょう.ちなみに,ドイツ語での日本のカルテに相当するのはKrankengeschichte(病歴)だそうです.


ともあれ,ドイツ語による医学教育が普及した明治以降にわざわざ手術用の刃物をオランダ語で呼ぶ習慣が根付くとも思えないので,少なくとも江戸時代末には既に,医師,漢方医はともかく蘭学医の間ではメスという語が定着していたと想像されます.ちなみに,現代のオランダ語では外科手術用のメスはScalpelだそう.


カルテは,電子カルテのように既に原義から離れて新しい造語がつくられています.同様に,メスもレーザーメスのようにレーザー(英語由来)とオランダ語由来の外来語が接続されて新しい日本語が創出されています.レーザーメスは,英語ではlaser scalpel,ドイツ語ではLaserskalpell,オランダ語は…一覧にはありませんでした.


ここまでの歴史をたどると,日本語の「メス」は英語でscalpelと呼ばれているものの誤用ではなく,メスが日本で外科手術用の刃物を指す言葉として定着してきたであろう道筋が読み解けます.そこで,記事に立ち返ると"Japanglish、正しく言うならこうでしょう"で,メスはそもそも英語由来や著者のいうJapanglishなどではなく,scalpelこそが「正しい」と言うのは間違いではないでしょうか.


英語の文脈として「〜にメスを入れる」put a scalpel intoの意味で,put a mes intoとした時にはじめて,そこはmesではなく英語ではscalpelですよと言うのであれば理解できます.


外来語はすべて英語由来ではなく,古くはオランダ語ポルトガル語からの借用語がたくさんあり,近年も,ドイツ語,フランス語,ロシア語,更にはイタリア語など,非英語由来の外来語がたくさんあります.これらを一括りにして"Japanglish"というのはいささか乱暴に過ぎるのではないでしょうか?


著者は英語教育の専門家だそうですが,言語学の造詣の深さにはいささか疑問符がつきます.





まったくの余談ですが,ドイツ医学が日本に定着する以前に,幕府直轄の医学所に由来する医学校で当初教えられていたのはイギリス医学だそうで,明治の初頭にイギリス医学からドイツ医学に大きく舵を切ったとの事で,こちらも調べるとおもしろそうな事がみつかりそうです.